Modern Device Gutter

わたしは北海道に住むmizoreと申します。機械と機械と機械が好きです。

「ギーク」と「ナード」。「ラード」ではありません。

「ラード」と「ギーク」と「ナード」意味が重なるこれらの言葉は、かつて同様に否定的な含みをもっていました。しかし現在は、前者だけ否定的な響きが弱まっています。すいません「ラード」は忘れてください。「ギーク」と「ナード」について真面目に考えます。

英語はニュアンスの幅が大きい言語です。最初はほとんど同じ意味だった言葉の間に生じてくる意味論的な違いについては、博士論文だって書けるだろうし、実際に書かれているはずです。そうです。真面目に「ギークgeek)」と「ナード(nerd)」について考えてみたいと思います。ギークという言葉には、かつては確かに否定的な含みがありました。ギークとはもともと、サーカスやパレードなどの見世物で、ヘビやニワトリを食いちぎったり、昆虫を呑み込んだりするパフォーマーのことをさしていました。1950年代にはプロレスラーが敵を「へたれ野郎」とののしる挑発の言葉としても広まりました。

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しかし時とともに──特にこの15年ほどの間に──、ギークの意味は肯定的表現へ転換した。その大きな理由は、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の爆発的な拡大でインターネットが主流になったことだと考えられます。大方の人が電子メールやチャットについて聞き及ぶずっと以前から、ギークたちはそれらをを使っていたため、この時初めて、われわれギークは少しうらやましく思われるようになったのです。コンピューターの値段が急激に下がると、ほとんど誰もかもが年配の人まで、インターネットというものにアクセスしたいと考えるようになりました。あのWindwos 95をとりあえず買っている人たくさんいましたね。今から比べるとあまり多くのことできなかったのに、すごい波でした。

その時、人々は設定を誰に頼んだでしょうか? もちろんギークです。確かに私が学生の時はオタクって煙たがれる存在でしたが、今の子達ってパソコンやったりgoogleで何かをやったり、ロボットコンテストに出たりしている子達がとても輝いているし、信頼されていますよね。一方、ナードはそのような道をたどりませんでした。ナードという言葉は、もともとは絵本作家ドクター・スースの作品から来ています。『If I Ran the Zoo』 (1950)に登場する怪物の名前。そのうち、「drip(面白くないやつ)」「square(くそまじめなやつ)」を意味するスラングとして使われるようになりました。

ナードは、ギークと同じく頭がいいが、加えて社交を苦手としています。ナードは見た目が変わっていて、行動が予想外で、コンピューターやSFなどナード的なもの以外については話ができません。ナードという言葉では、なぜこうした意味が続いているのでしょうか。確かなことは言えませんが、その理由はロバート・キャラダインに集約されるかと思います。キャラダイン主演のコメディ映画『ナーズの復讐』(さらにその続編)が、ナードが軽蔑的な言葉ではなくなる可能性を破壊したのです。ナーズの復讐(Revenge of the Nerds)は1984年に公開された米国のコメディ映画です。体育会系の学生(ジョック)たちに迫害されているナードたちが、武器としてのコンピューターを駆使して復讐してゆくという凄まじい物語です。広報用のポスターには、フットボール体型の男達を踏みつけつつ、チアリーダーたちをはべらせながら満面の笑みを浮かべる、眼鏡を掛けた二人の青年(ナード)が描かれています。

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まとめると、ギークとナードは社交の適性の点で大きく違います。ギークには社交の適性があるが、ナードには無いのです。ギークは、ギークでない人と恋をして結婚することが可能で、実際にそういう例はとても多いのです。一方、ナードが愛を見つける場合、たいていは相手もナードです。皆さんは「ギーク」です。そして、ギークであることを誇りに思ってください!